時沢という存在を知ったのは、中学三年の二学期の終わりがせまっている頃だった。時沢はいい加減受験を意識していかなきゃっていう時にうちの中学に転校してきて、あの頃のあたしは変な時期に転校してくるやつもいるんだなぁ、なんて呑気なことを思っていたのを覚えている。
それから、冬休みが始まる少し前くらいだったと思う。幼馴染の涼が、あたしに紹介したい奴がいるとか言って、昼休みにお弁当もまだ食べてないのにいきなり教室まで連れて行かれて。涼がこんなことするの初めてだったからびっくりしていたら、えらく綺麗な顔をした男を紹介された。
女でも紹介してきたらぶっ飛ばしてやろうかと思ってたから、それは一安心だったんだけど、だけどそれ以上に目の前の男の顔があんまりにも綺麗なもんだったから、あたしは一抹の不安を覚えてたまらず涼に確認したことも覚えてる。
「……あんた、そっちじゃ、ないわよね……?」
「なにが?」
いつも通り、あっけらかんとした顔で答えた涼のせいで結局それは杞憂に終わってげんなりしていたら、問題の男が「誰だ?」って聞いてきて、その声があんまりにもぶっきらぼうなもんだったから、初対面の人間によくそんな態度取れるわね、なんて思っていた。
「こいつがさっき言ったオレの幼馴染の真冬だよ!」
「お前が? ふーん……」
「あん……?」
なんていうか、その時の“あんた”のあたしを見る目を一言で表すなら『こんなもんか』っていう感じ。
喧嘩売ってんの? って思ったし、実際売られてると思ったから、どうしてくれようかと考えていたら、涼がバカなこと言いだしたんだっけ。
「真冬、こいつが昨日言った時沢! ――二人とも、今日から友達な!」
「……はぁ!?」
涼はいつからか突拍子のない行動をする幼馴染だったけど、この時は本当に、本当に意味が分からなくて、胸倉を掴んだ記憶がある。そもそも、男が女に男を紹介する時点で何考えてんのって感じだったし、それをよりにもよってあんたがするか、って。
「ちゃんと説明しなさいよ……理由によっちゃぶっ飛ばすから……」
「い、いやま、まふっ、さん、すでにオレの命が消し飛びかけて、ます、けどっ?!」
「知るか!」
我ながらどこに沸点があるのかよく分からなかったけど、まあこれは怒ってもいいと思ったから怒っただけだし。
そんなやり取りをしていたら、そもそもの原因である男が噴き出して、
「――ぶっ、ははは! お前、ら、それっ……夫婦漫才かよ……!」
って、腹を抱えて笑いながら言ってきたのだ。
「……、」
あ、そう見えるんだ。って思ったのはほんの一瞬。なんだか悪い気がしなくて――というか、涼がなんでわざわざあたしに紹介しようと思ったのか、それがそこでようやく分かって、一気にどうでもよくなったんだった。
変に疑り深くなるのがいけなかったというか、そもそも涼が『そんなこと』するわけないから。だから、普通に、あんたが思ったままのあたしでいればよかったんだって。そう思ったんだ。
「時沢、だっけ。あたしは志野真冬。そこのバカから何聞いてるか知らないけど、よろしく」
「え……? あ、ああ」
差し出した手を、問題の男――時沢が戸惑いながら拾って、あたしたちは友達になった。
それから月日が流れて、高校の入学式のこと。
真夏のこととか庄治さんのこと、あと涼の学力とか色々考えて、家から歩いていける距離にある芳川高校へ行くことにした。着慣れた中学のセーラー服から一転、慣れないシャツとブレザーの組み合わせにドキドキしながら、クラス発表の張り出しを今かと待ちわびていた。
「今年も一緒のクラスだといいな~」
「高校に来てまで一緒とかさすがに嫌なんだけど……」
「とか言ってぇ、オレがいないと寂しいくせにぃ」
「それはあんたのほうでしょ」
「んなっ……!」
そんなくだらない会話をしながら、あたしは隣に立つ幼馴染のすっかり明るくなった髪色を不思議に思っていた。あの一目見ただけで重そうな黒髪は今や見る影はなく、快活な涼の笑顔に似合った、こげ茶色に染められていた。いわゆる高校デビュー、というつもりなのか。そんな風に聞いたら涼は似合ってるだろ、なんて言って笑ったけど、あたしはそっけなく、いいんじゃない、と返したのが昨日のこと。
「あ、きたきた!」
涼の元気な声で現実に引き戻されて、意識を前に向ければ、掲示板にそれらしきものが張り出されていくのが見えた。
それと同時に、一目確認しようと一気に群がる新入生の波に押しだされて、あたしと涼は木陰に座って落ち着くのを待つことにした。
「段取り悪っ……」
「まあまあ、そう怒るなって。先生らも不備が見つかったから~とかなんとか言ってたじゃん」
「分かってるわよ。けど、HRまであんま時間ないでしょ」
「んあ? あー……そうだなぁ。まあ、なんとかなるだろ。ほら、言ってる間に落ち着いてきて――」
そう言った涼が指差した人だかりは全然減っていなくて、ただ確認するだけっていうのに、いつまでたむろしてるんだ……ってやつで埋め尽くされていた。
「――ダメだなこりゃ!」
「はあ……」
ああもう、溜息しか出ない。こうなったら割りこんでいったほうが早そうだし、ついでに二手に分かれて、お互いどこのクラスか探したらもっと早いんじゃないのこれ。
「ねえ、涼」
「んー?」
面倒だし、と一つ提案しようとした時、涼が一瞬こっちを見たかと思えば素っ頓狂な顔をして、次に口をあんぐりと大きく開けてぱくぱくと動かした。
「なにやってんのよ、涼――」
震える手で恐らくあたしの背後を指差した涼。
なんか変な人でもいるの? そう思って振り返れば、そこには大体涼と同じくらいの背丈の男が立っていた。太陽の光でまぶしいくらいに輝く金髪をした男は、似合わないブレザーを通した腕を軽くあげて、爽やかに笑った。
「よっ、久しぶりだな」
「……誰?」
金髪に映える整った顔立ちがなんだかどこかで見覚えのあるどころか、幼馴染ほどじゃないけど見飽きた友人の面に似ていて、思わず聞き返してしまったけど多分、疑いもなくあんたな気はした。
「うっわ、春休みあったからってひでぇな。時沢治弥だよ」
わざとらしく肩をがっくりと落とした男――時沢に、涼は「そんだけ変わってたら分かんないって」と悪態をつく。
「かっこいいだろ」
「えー……」
そんな涼に、なぜか勝ち誇ったような顔で笑う時沢。涼は一瞬目を見開いて、それから口を尖らせて不満げに眉根を寄せて押し黙る。
「くっ……冗談だって」
「わーってるよ!」
くつくつと喉を鳴らして笑う時沢に、涼は頬を膨らませて拗ねた様子を見せる。
目の前でそんな会話を繰り広げる二人と反対に、置いてけぼりのあたしは、様変わりした時沢の髪に目を奪われていた。
染めてからそんなに日が経ってないのだろう、一切の錆がない金は春の柔らかな風に煽られて、ふわりと揺れる。
――綺麗……。
「……志野、」
「っ……!」
はっと気づいた時、時沢とばちんと目が合った。瞬間、体の内側が芯から熱くなるような気がして、手とか、足とか、とにかく嫌な汗が一気に噴出した。痛いくらいに強く脈打つ心臓が苦しくて、頬に集まる沸き立つような熱は、木々から差す暖かな陽に当てられて、どんどんその温度を上昇させている気がした。
――ものすごく恥ずかしい、と思った。けれど、何に対してそう思ったのだろう。ただ、見る影もない時沢が珍しくて、観察していただけなんだけど。
「……、」
「志野?」
「……なんでもない」
時沢の声に呼び戻されて、合わせたままだった視線を逸らす。俯くと、煉瓦を敷かれた地面に出来た自分と、隣に座る涼の特徴的な髪を模ったもの、時沢の特に何の変哲もない丸い頭の形をした人影が目に入った。
その適度な距離感に、なぜだか安堵する自分がいた。
「――あ、なぁ、お前らもうクラス発表見たのか?」
「いや、まだ。ご覧の通りの人だかりだし」
「ああ……それで……」
「……?」
二人の声に釣られて顔をあげると、涼の発言に、目を細めて何か納得したような顔をする時沢。涼と顔を見合わせて、時沢の言葉の続きを待っていると、彼はブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。
「ん」
そう言って突き出された画面には、白背景に黒色の文字が浮かんでいた。
「あ、」
「……これ、クラス発表の、」
『1年3組』と題された下に、ずらりと並ぶ人の名前。順番に見ていくと――
「し、の……と、べ……とき、さわ……」
涼が順番に読み上げていくと、聞き慣れた音が耳を通して脳で言葉として処理される。
――志野、戸部、時沢。あとに続くのはきっと、真冬、涼、治弥。
「す、すっげー!?」
「……っ!」
腹の底から力いっぱい叫ぶ涼。あたしは、驚きのあまり言葉を失っていた。時沢は「だよな」と言って笑うと、ポケットにスマートフォンをしまった。
一緒の、クラス。まさか三人揃うと思ってなくて、それにこの新入生の数からして全員ばらばらになると思っていたから、単純に嬉しかった。中学の時はあたしだけ違うクラスだったし、だから余計に、嬉しくて――。
「これから一年よろしくな。二人とも」
それからあたし達は、早く教室に行ってしまおう、ということになって、固い上靴に履き替えて教室に向かっていた。一年生の教室は二階にあるらしい。
「うっれしいな~!」
「……子供みたい」
先々行く涼の背中を、あたしと時沢はくすくす笑いながら追いかけるように歩いていた。
「……なぁ、志野」
「なに?」
隣を歩く時沢の顔を見上げると、彼は一瞬あたしを見て、それから逸らしてしまった。
「いや……どう、かなって。お前から見て」
「……なにが?」
歯切れが悪く問うてきた時沢に聞き返すと、彼は気恥ずかしそうにもみあげを一束、指でつまむ。
――ああ、そういうことか。そういえばあたし、何にも言ってなかった気がする。
その時、すっかり忘れていた熱が、また高まった気がした。
「んー……似合ってんじゃない」
誤魔化すように、マフラーで口元を見えないようにしてあたしがそう言えば、時沢は「そっか」と短く返してきた。
「……、」
それまでの態度よりもそっけない返事に、別に気にする事でもないんだけど、なぜだか胸の奥を何かが遣えるような――そんな気がして、あたしは何か言い返してやろうと思って、時沢のほうへ視線をやると――
「っ、」
――時沢の顔は、ゆでだこかってくらい、耳まで赤くなっていた。
「……なに、照れてんの」
あ、しまった、と思った。
これは、このままスルーしてあげたほうがいい。そう思って撤回しようとしたけど、それよりも早く時沢の目があたしを捉える。
「……別に」
それだけ言って、時沢は逃げるように前を歩く涼のもとへ走っていた。
「なによ、それ……」
――あんな時沢、見たことがなかった。
それ以上に今はなんでっていうか、そんな、照れるようなこと言ったっけ? っていう疑問が大きくて。あたしは、混乱していた。
いや、時沢のことを全部知ってる……ていうわけじゃないけど。けど、出会ってから数か月、あたしの見てきた彼はなんというか、冷静な印象が強かった。涼のバカみたいな思いつきの遊びの誘いに面倒くさいってはっきり言ったり、昼休みにオムライスが入ってたとかで大はしゃぎする涼に、落ち着けって制したり。受験の日も、そわそわする涼の背中を叩いて、「大丈夫だ」って言って安心させていたりもした。
それに、あたしといる時なんかはもっと違って、お互い好きなことをしていたから。涼といるとどうしても無駄に口を動かす羽目になっていたけれど、時沢といる時は大体一言二言交わせば、終わっていた。
だから、さっきの時沢は、珍しいというよりも、違和感がすごくて。
そりゃあ褒められたら、あたしだって恥ずかしいくらい嬉しいと感じるけども。けど時沢は違う。あいつは容姿を褒められても「ありがとう」と、ただ一言返していた。それ以上の言及は許さない、という風に、冷たく――だから余計に、よく分からなくて。
もしかしたら、まだ見たことのない時沢……だっただけかもしれない。何を思って染めたのかは知らないけど。いや、多分高校デビュー……なのかも。それなら分かる。……いややっぱ、よく分かんないけど。
「……変、なの」
