今日は、十二月二十五日。世間ではいわゆる『クリスマス』と呼ばれる日だ。
中学校もちょうど冬休みに入ったばかり。そんな日の昼下がり、私は夕飯の買い出しのついでに、少し足を延ばして一つ隣の駅前にあるショッピグモールに来ていた。
駅前の広場中央に植えられた大きな広葉樹には色とりどりのイルミネーション――と言っても今はまだ明るいから点灯はされていない――が飾られ、その脇に建つショッピングモールではそれぞれのお店が思い思いに飾り付けをし、一部のお店では少し奮発して買うようなまさにプレゼント向けの商品が展開されている。
目深に被ったフード越しでも分かる、そのきらびやかな世界は、私にはとても遠いもので、すごく眩しかった。
「……いいなぁ」
ぽつり。
幸せそうな空気を纏った人たちが騒く中、私はショッピングモール内にあるエスカレーターの脇に設置されたベンチで一人、ぼんやりと荷物整理をしながらそんなことを漏らす私。はっとしたときには遅く、横目に見える同年代か、少し上くらいの女の子二人組からひそひそと話す声がしてきた。
「…………」
いてもたってもいられなくなった私は、手早く荷物をまとめてその場を後にした。
ち、違うもん。好きな人とクリスマスにデートして、そんな、甘くて穏やかな一日を過ごしている女の子が羨ましいとか、そういうわけじゃなくて――ただ単に、あのある意味今日までは非日常的な場に一人で夕飯の買い出しとか、そんな日常的な空気を持ってきてしまったことが恥ずかしかったっていうか……。
そんなつまらない悩みを悶々と考えつつ、二人分の夕飯の材料と少しの日用品が入ったスーパーの袋をぶらぶらと揺らしながら、私はショッピングモール内を彷徨っていた。
どうしよう。なんとなく、夕飯の支度をするまでに時間があったからここまで来てみたけど、もう必要なものは買ってしまったし、本当にすることがない。カラオケにでも行こうかな、と思って携帯を開けば、時刻は夕方の四時を少し過ぎたあたりで、そろそろ家に帰るにはいい時間だ。
「うぅ~ん……」
でも、でもでも。ここまで来たのに何も買わずに帰るのはなんだか癪に障るというか、すごく寂しすぎるというか、ちょっとだけ惨めな気持ちになってしまうというか――。
「あっ、」
どんどん凹む心に、鬱だ、なんて思いながらとぼとぼ歩いていたら、雑貨屋が目に入った。三千円や五千円くらいのあまり高くない腕時計や、街中でよく見かけるデザインのリュックや鞄、財布や手帳その他諸々といった感じで、色んな物が置いてある。ふらりと吸い込まれるように店内へ足を入れると、「いらっしゃいませ」と心地よい声に歓迎された。
――そういえば、お兄ちゃんの筆箱ってだいぶボロボロだったような。
兄が今使ってる筆箱は、記憶が正しければ小学五年生に買ってから一度も変わっていないはずだ。スポーツ用品とかを売ってる有名な会社のロゴがプリントされた、ビニール製のよくある筆箱。長年使ってるせいで、そのプリント部分が剥げて今じゃなんの会社のものだったのかまったく分からない。
そんな見るも無残な姿に成り果てた筆箱を、いつまでも使っているのは少し、いや、だいぶ恥ずかしいと思う。というか、来年にはもう高校生になるんだから、身の周りのものを新調したって罰は当たらないはずだ。
ぐるぐる店内を回って、兄の趣味に合いそう――というよりは、男の人が持っていても可愛すぎないものを探して、目についたのはポーチ型の筆箱だった。優しい風合いの生成の生地に、ワンポイントとしててんとう虫が刺繍されていて、これなら兄が持っても恥ずかしくないだろう。
もしかしたら新学期これを机の上に出したとき、意外と可愛い趣味を持っていることに会話が弾むかもしれない。いや、選んだのは私だから、「妹にプレゼントで貰ったんだ」的な感じで会話の取っ掛かりになるかな――なんちゃって。
「……すみません、これお願いします」
「ありがとうございます」
レジで店員さんにお会計をお願いして、そのあいだに鞄から私の財布を取りだす。これはプレゼントだから、お兄ちゃんと共用で使っている財布――両親から渡されている生活費が入っている――から出すのはバットなのだ。
「プレゼント用ですか?」
「はい」
「包装いたしましょうか?」
「あ……お願いします」
端数がややこしくて、小銭を出すのに手間取っている間に店員さんは手早く包装の準備をする。なんだか申し訳なくて、結局お札だけでお会計をしてしまった。
「お呼びしますので、しばらくお待ちください」
「分かりました」
一度レジから離れて、店内を適当にぶらつく。
そういえば、さっきはプレゼントを探すのにあまり見れていなかったけど、イヤリングやペンダントも置いてあって、いくつか気になるデザインのものがあった。けど、もう一度お会計をするのもなんだかおかしいというか、変な感じがするし、少し恥ずかしい気もして、見るだけに留める。
――うん、今度また買いに来よう。
「お客様、お待たせしました」
そんなこんなしているうちに、紙袋を持った店員さんに呼ばれて、包装の確認をお願いされる。了承すれば、もう一度「お待たせしました」と言われて、そのまま流れに乗って店外に出るまで見送られた。
「ありがとうございました」
頭を下げる店員さんに会釈したあと、適当なところで立ち止まって携帯を開く。思ったより時間がかかっていたのか、もう五時前で、早く帰って夕飯を作らないと遅くなりそうだ。
「……よし!」
鞄に携帯をしまって、私は帰路についた。
――お兄ちゃん、どんな顔をするかな。
「ふふっ、楽しみだなぁ」
◇◆◇◆◇
――帰宅して、夕飯の支度をして、早二時間半。つまり夜の七時半。私は、兄の帰りを待っていた。
「お兄ちゃん……遅いなぁ……」
確か、今日は友達と遊びに行くなんてことを言っていた気がするけど、それにしても遅いと思う。
――それに最近、お兄ちゃんは帰りが遅いことが多い。それも、ここに越してきてからだ。さすがにご飯の時間までには帰ってきていたけれど、それでもいつも夕方になればもう家にいたことを思えば、なんだか不安になる。
せめて連絡してくれればいいのに。それすらないからますます不安になって、私からメールしてみるけれど、やっぱり返事はない。
今までこんなことなかったのに。お兄ちゃん、どうしちゃったんだろう。まさか悪いことでも始めたのかな――なんて、そんなことを考えてしまうけど、あの生活能力皆無なお兄ちゃんに限ってありえないと思うし。
――やっぱり、友達が出来たことが、嬉しいのかな。
思わず、そんな考えが過ってしまう。
別にそれは自体はいいんだ。新しい場所で友達ができて、毎日が楽しいなら、それで。でも、私のことも放置しないでほしいというか――家族のことも、ちゃんと大切にしてほしいというか。お父さんもお母さんも、いつ帰ってくるか分からないし、帰ってきてもすぐに仕事だなんだって言って出ていくし。そんなだから、四人家族だけど実質お兄ちゃんと私の二人暮らしのこの家は、少しどころかかなり広く感じて、一人でいると寂しいのだ。
せっかくプレゼントも用意したっていうのに、このまま日付を超えても帰ってこないんじゃないかなって思う。さすがにそれはないと思うけど。
「……お兄ちゃんの、バカ」
早くしないと、ご飯も、私の心も、冷めちゃうよ。
――ガチャン。
「……あ!」
机に突っ伏していたら、玄関のほうからガチャガチャと扉を開ける音がした。時間的にお父さんとお母さんはまだ帰ってこない。
としたら――当然お兄ちゃんしかいない!
「お兄ちゃんっ!」
玄関に飛び込むと、モッズコートを着たお兄ちゃんがちょうど靴を脱いでいた。
「あ、よね。ただいま」
私に気付いたお兄ちゃんは、呑気な声でそんなことを言った。
「お兄ちゃ……っ、遅い!」
コートを脱ごうとしていたお兄ちゃんの背中を拳を作って思いきり叩く。するとお兄ちゃんは「いってぇ!」って、玄関中に響く声量で叫んだけど、そんなのお構いなしだ。
「遅くなるならちゃんと連絡して!」
「えっ」
ついでに「このあんぽんたん!」って怒鳴りつけると、お兄ちゃんは困惑した顔でごめん、と一言謝った。
「むぅ~……!」
「ホントごめんって……! 携帯の充電切れてメール送れなかったんだ。許してくれ」
「…………いいよ。許す……」
「あぁ……よかった」
謝っといて言い訳すんなバカ! って思ったけど、これ以上怒るのも面倒だし、なによりご飯がどんどん冷めちゃうことを思えば、もうどうでもよくなっていた。
「それより、早くご飯にしよ! 私おなか空いちゃった」
「おう」
「……あれ、」
「どうした?」
コートをハンガーラックにかけるお兄ちゃんの足もとに、見覚えのある紙袋があるのが見えて、私は思わず声に出してしまった。
「それ……」
「ん? ああ、これ? 友達にクリスマスプレゼント~ってもらったんだよ」
紙袋を指差すと、お兄ちゃんはそれを持ちあげる。
「へぇ……なに、もらったの?」
私がそう聞くと、お兄ちゃんはぱっと明るい笑顔を浮かべて、「ちょっと待ってろ」と言って紙袋を漁る。そこから、一度広げた形跡のある包装紙を広げて――『それ』を見た瞬間、背筋が凍る感覚がした。
「見てくれよこれ。この時期にてんとう虫柄だぜ? 笑うよな~」
「…………、」
「男にてんとう虫ってどうなんだよって思ったんだけどさ、」
『それ』――見覚えのあるポーチ型の筆箱を手に持って話しだしたお兄ちゃんは、本当に嬉しそうで、私は――。
「――それで、あんたのボロボロの筆箱に比べたらマシでしょ、とか言われてさ」
「……」
――私は。
「よね?」
「あ……ううん、なんでもないよ。よかったね、お兄ちゃん」
顔を覗き込んできたお兄ちゃんに、私はなるべくいつもと変わらない笑顔を意識して浮かべた。それでお兄ちゃんは特に何も思わなかったのか、「おう!」と言って、また嬉しそうに笑った。
「あ……お兄ちゃん、ご飯もう出来てるから、先に食べてて。私先にお風呂の掃除しなくちゃいけないから」
「ん、わかった」
「あ。あと冷めてるかもだから、ちゃんと温めて食べてね」
「りょーかい」
リビングに行ったお兄ちゃんの後ろ姿を見送って、私は自分の部屋に入った。電気をつけて、静かに扉を閉める。
「……」
――机の上には、あの紙袋が置いてあった。お兄ちゃんが持って帰ってきた紙袋と、同じものが。
「……なんで、」
私が渡すはずだったものを、お兄ちゃんが持っているんだろう。――いや、それは『友達』にもらったって、そう言ってたじゃないか。問題はそこじゃなくて、そうじゃなくて――どうして、私が見たかった顔を、お兄ちゃんはしていたんだろう。それが、分からなくて。ううん、分かっているんだけど――。
ショックが大きすぎて、私は、紙袋の前に立ち尽くしていた。なんてことはない、プレゼントが被ってしまうことなんて、きっとよくあることだ。それも、近くのショッピングモールで買ったんだ。可能性があったことは否定できない。だから、仕方のないことなんだけれども――どうしてだろう。なんだか無性に、悲しくて、悔しくて、寂しくて。
「っ、こんなの……!」
気付けば私は、紙袋をゴミ箱に投げ捨てていた。けどうまく入らなくて、ぶつかった拍子にゴミ箱は倒れ、紙袋からは包装されたプレゼントが散乱した。
「うっ……うう……」
声を押し殺して、私は泣いた。
こんなことで泣いてしまうなんて、本当に情けないと思うけれど。いくらなんでも、お兄ちゃんに対して、こう、重すぎると思うのだけれど。
だけど私は――お兄ちゃんが自分から離れていく感覚に、耐えられなかった。
