くるくる。くるくる。世界は廻る。世界は変わる。
 目まぐるしく、台風のように。嵐のように。風のように。
 まるで、始めからそこには何もなかったように、すべてを吹き飛ばして、跡には使い物にならないモノたちを置いていく。
 でも人は、その残骸の中から使えるモノを拾って、何もない場所から新しいモノを生み出して、何度だって立ち上がる。

 そうして日常(せかい)は――変わっていく。

◇◆◇◆◇

 土曜日。
 天気は晴れ。最高気温は、かなり汗ばみそうな温度。つかの間の陽に、湿度はグングン上昇中。
 そんな、お出かけするには少し嫌だけど、でも季節を顧みれば絶好のチャンスといった日。

「――お兄ちゃん! 朝だよ! 起きて!」

 遮光カーテンのせいで、朝なのに不気味なくらい真っ暗な兄の部屋に怒鳴り込む。真っ直ぐに窓辺に向かって、思い切りカーテンを開けると、眩しいくらいの朝日が目の奥を突き刺した。
「お兄ちゃん!」
 布団に包まれた俵から剥ぎ取ろうとすると、思っていた以上の力で抵抗された。
「いぃ~……や……だ……!」
 綿越しに聞こえる低い声。意地でも起きないぞ、という意志を示すそれに、私は徹底抗戦する。
「洗濯物片付かないから早く起きてってばー!」
 なおも引っ張ると、隙間からぴょこんと、金色の髪が飛び出てきた。
「ほっとけぇ……俺の、ことは……ほっとけぇ……」
「じゃあ自分で洗濯するの?」
 びくり。俵が動揺する。
「どうせしないでしょ?」
 追い打ちをかけると、俵がさらに揺れ動いた。
「この前みたいなことになりたくないでしょ?」
「…………っ、」
 息を呑む音がした。よし、あともう少し。このまま主導権を握れば、私の勝ちだ。
 ……ちなみに、この前というのは、先週お兄ちゃんがあんまりにも起きないものだから、濡れたままの洗濯物を全部部屋に投げ入れたり、夕飯はベビーキャロット一袋だったりとか、とにかく出来る範囲で家事をボイコットした日のことだ。
「ほら。早く起きて」
 引っ張る力を弱めて、優しく声を掛けると、隙間から半分だけ兄が顔を出した。
「自分で……やるしぃ……」
 もはや九割も開いてない目で訴えてきた兄は、そういうや否や布団に潜り込んでしまう。
「お兄ちゃん!」
 ぐるぐると、アルマジロみたいに丸まったお兄ちゃんを揺さぶる。けど、びくともしない。
 どれだけ寝たいんだ、この人は。
 そういうことを言うと、お兄ちゃんは決まって「せっかくの休日だぞ?」と返す。私には、それが理解出来ない。せっかくの休日だからこそ、普段出来ない部分の掃除をしたり、お菓子を作ってみたり、オシャレをしてお出かけしてみたり。制服を着て、学校に行って、帰るだけで終わってしまう平日じゃ出来ないことをするために、休日はあるはずなのに。お兄ちゃんは、いつも寝て過ごしてばかりだ。もったいないって思わないのかな。何にも縛られない、自由な時間。先生も、みんなも、誰も見ていない、貴重なものなのに。
「……むぅ」
 久しぶりの快晴。
 明日はお出かけしようねって、昨日話してたのに。こんな調子じゃ、今日は掃除をして、録り溜めしていたドラマやバラエティ番組を見るだけで終わるだろう。
 私は、それでもいい――いや、よくないけど。でも、こんなお出かけ日和に一人で外に出るのも、正直虚しい。絶対に嫌だ。そんな惨めな気持ちになるくらいなら、引きこもってるほうがマシだ。
「お兄ちゃんの……ばか」
 一向に起きる気配のない兄に向けて、こっそり悪態をつく。
 いいのだ。兄がそうしたいと言うなら、妹の私はそれに従うまでだ。ただ、それに伴う障害は覚悟の上で、なのだが。
「……お兄ちゃんのばか! 嫌い! このあんぽんたん!」
 ――なんて、収まりきる感情でもなくて。
「もう知らない!」
 感情の赴くまま、勢いに任せて兄だったはずの俵に向けて、拳を振りかざす。ばすん、と腑抜けた音と共に衝撃は綿に吸収されたけど、大事なのは私が怒っているという事実を伝えることだったので、よしとする。
「よ、よねっ!?」
 部屋を飛び出る手前、お兄ちゃんの驚嘆の声がしたけど、無視して扉を閉めた。
「ふんだ……」
 寝たいなら、好きなだけ寝ればいい。私は、私のしたいことをする。一緒にお出かけしたくないのなら、それでいいのだ。
 所詮私の思い上がりというか、勝手に期待してただけのことだから。そんな、強制することじゃないし。お出かけなんて、いつでも出来るし。明日でも、来週でも、再来週でも。明日世界が終わります、なんて突然言われない限り、チャンスはいくらだってある。
 別に、私の気持ちがどうなろうが、お兄ちゃんには関係のないことなんだ。
「よ、よねぇ~……?」
 背後で、カチャリと、控えめに扉の開ける音がした。それも、情けない声と一緒に。
「……眠いんでしょ?」
「いや、それは……」
 初撃。お兄ちゃんは、言い淀む。
「ほっといてほしいんでしょ?」
「うっ……」
 二発目。背を向けたまま毒突くと、お兄ちゃんが萎縮するのが、気配だけで分かった。
「自分で洗濯するんでしょ?」
「んんっ!」
 三発目。トドメの一発を放つと、お兄ちゃんが咳き込むように、喉を詰まらせた。
「……お出かけしようねって、言ったのに」
 ぽつり。呟くように言うと、お兄ちゃんの呻き声がした。意識してなくても、ハムスターみたいにむくむく膨れる私の頬。不満をたくさん詰めたそれを、溜息と一緒に吐き出す。
「はあ……いいよ、もう。私一人で行くから」
 そう言うと、お兄ちゃんが「待てよ!」と大きな声を上げる。
「俺が悪かったって。だから許してくれ、な?」
 背を向けていると、お兄ちゃんが顔を覗き込むように前に回ってきた。手を合わせて、「頼むよ」と言って、もう一度謝罪の言葉を口にする。
 ……軽薄だ。誠意が、まるで込められてない。とりあえず謝っておけば、許してもらえるだろうと思っているのが丸見えだ。
 かと言って、謝ってる人を許さないのも、心が狭いと言われかねなくて。
 私は、こんなでも優しい妹なので、許してあげるのだ。
「――……ケーキ」
「ん?」
「スペシャルミックスベリーショートケーキで許してあげる」
 最寄り駅の一つ隣、その駅前のショッピングモールの中にあるケーキ屋さんに、それは売っている。一つ五百円と、結構なお値段の美味しいケーキ。スペシャルなんて冠するだけあって、苺を主軸に様々なベリーが使って作られ飾られたそれは、見た目だけでもすごく楽しめるものだ。
 私は、そのケーキが大好きだった。けど、五百円もあったら、頑張れば一日分のご飯を作れることを考えると、あまりに贅沢すぎて。いつもはよっぽどのことじゃない限り買わないし、買ってとも言わないんだけど。今日ばかりは、いや、日頃の恨み辛みも込めて、お兄ちゃんの財布を搾り取ってやろうと思った。
「え。そんなんでいいのか?」
 きょとんとするお兄ちゃん。私をなんだと思ってるんだ。
「……じゃあ、今日はお兄ちゃん荷物持ちね。あとは~……着いてから考える」
「なんじゃそりゃ……」
 呆れた顔をする兄に、私は「たまにはいいでしょ!」と、笑って背中を押すのだった。

◇◆◇◆◇

「お兄ちゃんまだー?」
「ちょい待ちー」
「おーそーいー! それ何回目ー?」
 家事を一通り終えて、着替えその他諸々を済ませた私は、玄関で兄を待っていた。
 私より準備に時間が掛かるって、どういうことなんだろう。普通、女の子のほうが時間が掛かるものだと思うけど。……まあ、お兄ちゃんはアレで結構オシャレにこだわりがある人だし、女の子じゃなくても時間が掛かることはあるんだろう。
 それにしても、遅いけど。
「んぅ~……」
 玄関で頬を膨らませていると、洗面所からお兄ちゃんが出てきた。
「悪ぃ、待たせた」
「遅い。タピオカジュース追加」
「……りょーかい」
 さっそく追加される負債に、お兄ちゃんは苦笑いをする。でも、悪いのはお兄ちゃんだ。こうなったら今日は、徹底的に搾り取ってやる。
「ほら、早く行こっ」
 お気に入りのシルバーのパンプスを履いて、私は駆け出す。
「ちょ、待てって、まだ靴履けてな、」
 玄関からは、けんぱをするようにお兄ちゃんが飛び出る。片手には、まだ履けてない真っ黒なスニーカーがあった。
「帰りのタクシー代追加するよ~!」
「さすがにそれは勘弁してくれ!」
「じゃあ早くしてー!」
 エレベーターホールまで走って行って待っていると、お兄ちゃんが遅れてやってきた。うっすらと汗を掻いていて、出掛ける前からすでに息切れをしている。
「っ、おえっ……」
「は、吐かないでよね……」
「じゃ、あ、急に、走らせんなっ」
 ぜぇ、と息を荒げるお兄ちゃんを横目に、エレベーターに乗り込む。続いて乗り込んだお兄ちゃんを確認してから、一階のボタンを押した。
 私たちの家、というよりは部屋があるのは、九階の一番奥。いわゆる角部屋だ。
 前に住んでいたところより、体感降りるのが遅いエレベーターにやきもきしながら、なんとなく無言になる。エレベーターの中って、なんで静かになっちゃうんだろう。まあ、四六時中お兄ちゃんと喋っていたいわけでもないから、いいんだけど。けど、小さな疑問ではあった。
 なんて考えていると、ポーン、と到着を知らせる音が鳴って、扉が開いた。
「よいしょ、っと」
 気圧差なのか仕様なのか、玄関ホールの重い扉を開けてマンションの外に出ると、生温い湿った風が頬を掠めた。
「あっちぃ……」
「だねぇ……」
 降り注ぐような熱気にさっそくやられながら、お兄ちゃんがポケットからスマホを取り出した。
「どうする? バス乗るか?」
「うーん……さっき行ったばっかりじゃないかな」
「そうか?」
 広場を抜けた先には、最寄り駅まで直通のバス停がある。けど、休日ダイヤとなると、この辺りのバスは一時間に四本あるかないかくらいのはずだ。
「…………さっき、行ったばっかみてぇだな」
 時刻表を検索してたらしいお兄ちゃんが、がっくりと肩を落とす。
「いいじゃん。歩こうよ」
「え~……こっからどんだけあると思って……」
 背中を押すと、お兄ちゃんは心底面倒臭そうな声で「嫌だぁ~」とのたまう。
「さっさと歩けば二十分だよ」
「めんどい~」
「はいはい、運動運動~」
 今にもその場で蹲りそうなお兄ちゃんの手を引っ張って、私たちは歩き出した。

「つーいた!」
 バスからさらに地下鉄を乗り継いで、私たちは目的のショッピングモールにやってきた。幹線道路から少し外れた場所に建つそこに、本日は色んなことをする。ケーキを食べたり、タピオカジュースを飲んだり。色々と。
「で、どこに行きたいんだ?」
「うーん……とりあえず、お洋服が見たいです」
「いつものとこか?」
「ノン。それもだけど、今日はね――」
 他愛のない会話をしながら、私たちはショッピングモールの中に入っていく。自動扉を抜けた先には、広場があった。その周りを囲むように、雑貨屋さんや、よく見かけるファストフード店、スポーツ用品店など、様々なお店が建ち並んでいた。
 目的のお店があるのは、確か三階だったと思う。朧気な記憶を頼りに、エスカレーターの脇にある案内板とにらめっこをする。
「えっと~……」
 字が、細かい。いつも思うけど、どうしてこういう場所の案内板って字が細かいのだろう。そりゃあお店を全部紹介しようと思ったら、そうなるのかもしれないけれど。それにしたって、もう少しどうにか出来ないのかな、なんて思いながら指でなぞるように探すと、目的のお店の名前があった。
 番号とフロアを照らし合わせると、三階の奥にあるのが分かった。
「お兄ちゃん、あったよ」
「どこだ?」
「ここ」
 目を細めて、一緒に探してくれてたお兄ちゃんの視線を誘導する。指差してあげると、お兄ちゃんは「ここって、前は確か……なんだっけ?」と首を傾げた。私は知らないよぅ、と言いながら、エスカレーターに乗った。
 お店の入れ替わりなんて、人の気が変わるのと同じくらい、早いものだ。そんなもの、いちいち覚えていられない。それに、記憶に残らないほどのお店だったなら、きっと行ったことすらないんだと思う。世の中、そんなものだ。
 階下に広がる景色をぼんやりと眺めていると、お兄ちゃんが「足元気をつけろよー」と注意してきた。はっとして視線を上げると、三階と書かれたプレートが目に入った。
「とっーちゃく!」
「今日はえらくご機嫌だなぁ」
「そりゃそーだよ。新しい服買うんだもん」
 エスカレーターの登り切って、念のため、もう一度お店の場所を確認する。真っ直ぐに行って、少し横に逸れたところ。そこに、最近気になっていたブランドのお店があった。
「……げっ、」
「? どうしたの、お兄ちゃ――」
 背後で、なんだか嫌なものを見た時の声を出したお兄ちゃん。嫌悪感に塗れたそれに驚いて振り向くと、

「――……時沢?」

 目の前には、同じく驚いた様子で立ち尽くす男の人がいた。
 お兄ちゃんより少し低い背に、渋柿みたいな髪色をしたボブカットの、マスクの人。
 その姿に、私は、見覚えがあった。
「板原……」
 なんでここに、とでも言いたげな声音でその人――板原先輩の名前を口にした、お兄ちゃん。
「……、」
 なんだか、一触即発……みたいな空気に、私は思わずお兄ちゃんの背に隠れる。
「なんで、いんだよ……お前……」
「……買い物に、来てるだけだ。別にいいだろう、それくらい……」
 お前に咎められる筋合いはない、と続けた板原先輩に、お兄ちゃんは「ハァ?」と声を荒げる。
「お、お兄ちゃんっ! やめて!」
 私が慌てて止めると、お兄ちゃんは舌打ちをして、一歩退いた。
「……よね、さん?」
「ひっ、」
 急にお兄ちゃん以外の人に名前を呼ばれて、身体が強張る。
「……あ、う、えと……」
 ど、どどど、どうしよう。
 急なことで、頭が真っ白になる。まさかこんなところで会うなんて思ってなかったっていうか、そもそもお兄ちゃんと知り合いっぽいとか、そんなの思いもしなかったから。
 だから、この場合どうするのが正しいのか、分からなくて。私は――。
「……おい、板原。てめぇ、今なんつった?」
 あわあわしていると、お兄ちゃんが怒気を含んだ声で、板原先輩に詰め寄っていた。
 い、いつの間に……!
「……名前を、言った、だけだろう……」
「だから、なんでてめぇがよねを知ってんだって、言ってんだよ……!」
 じりじり躙り寄るお兄ちゃん。板原先輩は、心底面倒臭そうな目をしていた。
「お、おおおお兄ちゃん! やめてってば!」
「うおっ?!」
 今にも掴みかかりそうになっていた腕を引っ張ると、お兄ちゃんの身体がよろめく。それに巻き込まれて、私もこけそうになったけど、なんとか立ち止まって耐えた。
「いっ、板原先輩は……なんの関係も、ない、よ……」
 だからやめて、とどういう意味で制止してるのか、私も分からないまま言うと、お兄ちゃんは目を見開く。
「じゃあなんで、あいつは……」
 お前のこと知ってるんだよ、とでも言いたげな顔をするお兄ちゃん。うう、面倒臭い。かといって、説明しなかったら、さらに面倒臭いことになりそうだ。
「ま……前に、ちょっと、助けてもらったの。それだけだよ……」
 そうですよね、と板原先輩に視線を送ると、首肯してくれた。
「……」
 私と板原先輩の様子に、お兄ちゃんは訝しげな目をする。絶対他にも何かあるだろ、みたいな。
「ほんとだってば! もぉ!」
 なんだってお兄ちゃんはこう、いつも大袈裟なんだろう。確かに、知らない人が私の名前を知っていたら怖いけど、板原先輩は知り合い――というか、お兄ちゃんが知ってる人なら大丈夫だろうに。
 ……でも、お兄ちゃんの様子を見るに、なんだか嫌な人、なのかもしれない。けど、私が知ってる限りでは、そんなことないし。それに、お兄ちゃんのことだから、よく知りもしないで毛嫌いしてるだけ……だと思う。多分、絶対にそう。

「あら政樹、お友達?」

 唐突な、明るい声に、険悪な空気が壊される。
「!」
 紙袋や、レジ袋を引っ提げた大人の女の人を見て、顔を引き攣らせる板原先輩。
「……お母さん、」
「えっ」
 お母さん? 先輩の?
 思わず声に出すと、女の人は「こんにちは」と言って、にこやかに笑った。それに、私も慌てて挨拶をして返す。お兄ちゃんも、遅れて続いた。
「あんた、涼くん以外にもお友達いたのねぇ」
「! お母さん!」
 ニコニコ、というよりはニヤニヤとしながら、板原先輩をからかう女の人――もとい、先輩のお母さんは、「そうだ!」と何か閃いたように手を叩いた。
「せっかくだし、お昼とか一緒に食べてきたら? お母さん、もうちょっと買い物あるから」
 本屋に行くくらいならいいでしょ、と続けた先輩のお母さん。板原先輩は、それに対して頭を抱える。
「お母さん、相手の都合ってものが……」
「それじゃ、いってらっしゃーい」
「お母さん!」
 有無を言わせず立ち去る女の人に、板原先輩は怒声を投げた。けど、先輩のお母さんは後ろ手に手を振って、下りのエスカレーターに乗って行ってしまった。
「はぁ……」
 板原先輩から、重い溜息が漏れる。お兄ちゃんは、もう何がなんだか分からないと言った様子で、立ち尽くしていた。
「……その、お母さ……いや、母は、勝手なところがあって……」
「ああ、えと、大丈夫、ですよ。むしろ、面白い人だなー……って……」
 ね、お兄ちゃん。と続けると、お兄ちゃんは「そう、だな……」と覇気のない声で返す。
「……それより、先輩。お昼、まだなんですね」
 魂が抜けきったお兄ちゃんは無視して、板原先輩に笑いかけた。すると板原先輩は、気まずそうな顔で「はい……」と言った。
 出来ることなら、もうここでお別れしたほうが、いいんだろうけど。でも、ここで、はいさようなら、とするのも、なんだか微妙な空気になると思う。というか、絶対にそうなる。
 ――それに、この前のお礼を、まだちゃんと言えてないことが、気に掛かっているのだ。
 思うに、今はそれを言う、絶好のチャンスだろう。というか、今逃せば、いつ言うのってくらい。
「その……先輩さえ、嫌じゃなければ、一緒にどう……ですか?」
 私が問うと、板原先輩は目を細めて、お兄ちゃんのほうに視線を移す。
「……僕は、構いませんが……時さ……その、お兄さん、のほうは、」
「駄目だ」
 即答か!
 こっちから聞く前に、お兄ちゃんが再起動して、拒否の意を示す。
 そんなお兄ちゃんに、板原先輩はほら、とでも言いたげな目で、私を見る。ぐぬぬ。
「お兄ちゃん……」
 あんまり、この手は使いたくないんだけど。
 私は、お兄ちゃんの袖を引っ張る。そして、自分の思う最高の角度で、首を傾げた。
「お願い、ね?」
 両手を合わせて、お願いのポーズをする。そうすると、お兄ちゃんは分かりやすいくらいに「うっ……」と息を詰まらせた。
 そう。私は、知っている。お兄ちゃんは、こういうのに、ものすごく弱いっていうのを。
 ……ただ、私自身は、あんまり好かない方法だ。こんな、ぶりっ子みたいなやり方。でも、頑固なお兄ちゃんを説き伏せるには一番なんだよね。最悪だけど。認めたくないけど。
「……分かったよ。昼飯だけだかんな」
「ありがとう! お兄ちゃん!」
 わぁい、とわざとらしく喜ぶと、お兄ちゃんは満更でもないみたいな顔で頬を掻く。うわあ。チョロいなぁ。
「それじゃあ、行きましょうか。私、いいお店知ってるんです」
 面倒臭くて、甘すぎるお兄ちゃんのことは適当に流して、板原先輩に問う。何か食べたいものがあれば、他のお店でも、と。
「……いえ、任せます」
 控えめに返した板原先輩は、なんだか疲れているように見えた。身体から来るものというよりは、気疲れ、みたいな感じで。
「分かりました」
 案内しますね、と言いながら、私は先頭をきってエスカレーターに乗る。横目に、板原先輩の前にお兄ちゃんが割り込むのが見えて、頭が痛くなった。

「もう……お兄ちゃんの、ばか」